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老人伝[1][2][3]
インタビュー/構成 山本清風
第三章
●「じじいはジャストじゃない」●
わたし「じじいの音って変なんですよね。例えばそういうメタルのフレーズなのに、タイトなギターサウンドだったり。曲の盛り上がりでメタルだったらツーバス16連打みたいなところもジャズとかプログレ的なドラムフレーズで表現したりとか。
メタルを物差しにして申し訳ないですけど。あと、グルーヴですか」
じじいの音楽は不思議だ。特に不思議なのがリズム、特にグルーヴというものである。
緻密な計算に基づくプログレッシヴ・ロックやテクノにはない何か得体の知れない理屈によってじじいのグルーヴは構成されているのである。今日はそこに迫ってみたいと思う。
わたし「リズム隊のグルーヴの上に玉井さんのギターがふわあーと乗っている時があって、波が満ちては引いてゆくように不意にガシッと三人のリズムが一丸となるときがある。
でもレッチリとかクリック聴いて合わせたのとは違う得体の知れないパワーがありますよね。つまり、なんてゆうか、・・・・・・じじいの歪んだグルーヴなんですよね」
野口「ぶはははは」
東郷「結局その、去年俺がリズムで探してたものがあって、だいたい去年の4月くらいから知り合いのミクスチャーバンドのヘルプ(代行ドラマー)をやってるんだけども、そのバンド(の曲・グルーヴ)は速くてカッチリしてるんですよ。
ドドパー・ドドパー・ドドって。それで、自分でそのリズムに合う練習を色々してて、リズムが安定してきたんですよ。自分のリズムが。それは自分でもわかる」
わたし「はい」
東郷「ところが、それをじじいに適用すると・・・・・・合わないんだよ!」
野口(爆笑)
わたし「はーいはいはい」
東郷「これできっちりリズム合ってる筈なのに玉井が『それはおかしい』って言うんだよ」
野口(又も爆笑)
東郷「えっえっえっえ!?(笑い)『これでぴったりだよ』とか思ってるんだけど、で、わかんなくて色々調べていくうちに、・・・【玉井のリズム、ジャストじゃないな】、と」
わたし「そうですねえ」
東郷「ということは、それ以前にフレーズもなにもかもがジャストじゃないから、ジャストでキッチリ叩くとフレーズとズレちゃうわけね。
だから、去年半年ぐらいやってたのはこのズレたのにドラムをどうハメるか、ってことをずっとやってたの。
――そしたら4月くらいにやっとピッタリになって」
わたし「そうですねえ・・・。じじいはジャストじゃない・・・(笑い)」
東郷「カチカチカチカチっていう一定の刻みじゃなくて、これがフレーズごとに全部ズレてる。・・・それをどうハメるか(ちょっと誇らし気に)」
野口「おおーっ」
わたし「それが世界観とかリズムの共有ですよね。
僕も中学時代にクリックもなしでせーのーどん、で友達と合わせて、後から聴くとやっぱりフレーズとか展開ごとにテンポ変わってるんですよね。
でも、それが三人のテンポでありリズムでグルーヴなんだから、それが正解なんですよね。如何に一般の音楽がそうでなくとも」
東郷・野口「はあー」
わたし「勿論クリックで合わせたら、じじいの変な感じは出ないですよね」
東郷「あともう一つは、例えばあるバンドがあって、基本的にはメンバーの音楽の根元が一つだとしたら、そのグルーヴの上に成立してるんだよね。
たとえばみんなレッチリが好きだったら、レッチリのリズムの上にみんなが成り立ってるから。合って当たり前なんだけど、うちはその、みんなリズムのルーツが違うから――合わないんだよね」
わたし「だからやっぱり、じじいのグルーヴになってるんじゃないですかねえ。みんな引き出されて(力を)」
野口「そういえば、じじいーってその、なってるねえ」
東郷「そうなんだよ」
野口「出来ちゃってるねえ」
東郷「そうそうそう、不思議なことに何か出来ちゃってるんだよね」
じじいというバンドが周囲のアマチュアバンドの中でも飛び抜けていると確信するのはこの一点が大きい。
多くのバンドがプロも含めてクリックに合わせた演奏に終始している、もしくはそうしなければ完全ではないという状況の中で、じじいは自分達だけのリズムを持っているのである。
それは別にカッチリしていないというのではなく、人と人が集まって音楽をする以上は当然のこと、つまりは正解のリズムを叩き出していることになる。
かたやクリックなしではいられない音楽というのはクラブでひとからげに流すことが出来るように、代用可能な音楽なのである。翻ってじじいが類い稀なオリジナリティーを持っているということの証拠に他ならない。
野口「・・・なんか、理屈じゃないもんねえ」
以上、ある日ある時ある場所で行われたじじいへのインタビューを15分ほど文字に起こしました。何故そのような時間だけかというと、読むのも起こすのもたいへんだからです。
しかしてじじいがバンドである以上は音楽を聴かなければ意味がないです。だからこのインタビューは飽くまでも地図であって、じじいという名のひろいひろい世界へと旅立たねばなんの効果もありません。
しかしてじじいたちはCDをつくろうとはしません。
何度も何度もたのんでるんですけどだめなんですね。
だから、いまは、ただ、こうして、あるいは、つまり、ライブを見にいってみてください。
特に、『普通の女の子で終わりたくないあなた』は足を運んでみるとよいでしょう。ひととちがうことをするということがどういうことか、わからないひとは一生わからないけど、とにかくそう。ある日ある時ある場所でした。
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